君が代は愛の歌?

先日我が国の国歌である君が代の君は男女の事ではないと書いた。誤解のないよう一言述べておくと、君が代が男女の愛をうたったものであるという解釈をするなと私は言っているのではなく、その解釈の正当性を古典に求めることはできないということである。そう思いたいなら堂々とそうしていればいいのである。

さて、君が代とは江戸時代当たりに結婚式などで歌われたことがようだ。また恋歌のような扱いを受けていたこともあるらしい。このことから君が代を愛だの恋だのの歌だという人があるようだ。なるほど結婚式で歌われていたのならいかにも男女の愛を歌ったものとして、君=男女という理屈がまかり通りそうである。しかし当然、結婚式に歌われるようになったのは、一般的におめでたい歌と認知されていたためで、元々は男女の事を歌ったわけではないし、恋の歌というのもこの歌の本義からは外れている。「きみ」=あなたの長寿を寿ぐというのがこの歌の意味であり、人類愛とか、恋慕の情などこの歌から読み取ることなどできない。恋仲にあるものからものへと詠みかけたなら、一応愛する人の長寿を願う歌として恋の歌とは言えよう。しかしこれはあくまで「賀」の歌であり、「恋」ではない。恋の歌であったなら当然「恋」の部立に収められたはずである。この歌を古代の人びとは恋の歌とは認知していなかったのである。それなのに一時この歌がそのような扱いをされたからと言って、それが真実だとか本当の意味だとか言っているのはどうか。歌の意味が変わり、それが本義に代わって本流だというのだろうか。その論理に従えば、今君が代は国歌として、天皇陛下の長寿を寿ぐという意味になっており、それが本当の意味ということになる。

重ねて私が言いたいのは、君が代を愛の歌と思うのも恋の歌とも思うのも勝手にすればよいが、それが歴史的な正当性を得ることはできないということである。